中国からやってきた二十四節気と七十二候。
動物の生態の変化や、自然の移り変わりを言葉に写した農事暦。
江戸時代以降、七十二候は日本の風土や気候に合わせて何度もその姿を変えてきたと聞きました。
ところが、私自身、街の庭で植物の手入れをしたり、小さな畑に通うになって、ビルと人の波の隙間、そこに漂う自然の兆しに触れるたびに、街にも七十二候があるんじゃないかと体感するようになってきました。
そこで、仕事でもプライベートでも馴染みの深い渋谷区から、街の風土や気候に合わせた、私的・街の農事暦を作っていきたいと思います。
これを書いているのは、寒露の次候「菊花開(きくのはなひらく)」あたり。
とはいっても、私にとってこの時期は、花ではなくて、間違いなく「団栗飯(どんぐりごはん)」。
自然との楽しみ方を教えてくれる先生が連れて行ってくれた、誰もが知っているような大きな公園の、大きな樹の下に落ちているたくさんのドングリ。
ドングリって食べていいんだっけ?と思っていたら、スダジイの実をカキっと歯で割って、松の実のような小さな中身を取り出して見せてくれました。白い涙型の小さな実は、そおっと口に入れて齧ると、ナッツのような風味。
まるできのこ狩りや山菜採りのように、街でどんぐり拾いができると知って、目から鱗のような経験でした。ドングリの味を知って、もしかしたら街でも自然の恵みを受け取って行きていけるかもしれないと希望を感じたのです。
一緒にドングリ拾いした幼稚園のみんなは、きっと工作に使うんだろうな。
私はドングリごはんだよ。
あの日以来、この季節になるとドングリごはんを炊くようになりました。お米はドングリ染めしたうっすらピンク色。漂う栗のような風味は秋のしるし。
先生に教えてもらった、大きな公園の大きな木の下のドングリたち。この街の風土がドングリを通して私の身体に入ってくる。そんな時には、街で食べられるものが落ちてくるという驚きと喜びも一緒に身体の中を巡ります。
この街で、金木犀の花の香りが姿を消し、ハロウィンの用意にはまだ少し早い時期。夕方の5時くらいから、太陽が沈み、街全体がぼんやりと薄暗くなり始める季節がきたら、それは私にとっては団栗飯を炊き始めるサインなのです。