URBAN FARMERS CLUB

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未来を耕そう

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GREEN RESISTANCE

こんなに世界は美しかったのか。

ここ数日、高速道路から見える景色の綺麗さが尋常じゃない。最初は、突然自分の視力が上がったのかと思った。それくらい、遠くの山々の稜線やビルや住宅の輪郭がくっきりと浮かび上がり、どこまでも見渡せる。そんな眺めを愉しみながら神奈川県相模原市にある僕たちUFCのリトリートセンターの畑へ通っている。

そうか。こうして、みんなが外出を控えていることで、CO2の排出量がぐーっと減ったから空気が澄んでいるのか。だから、こんなにクリアに見えるんだ。と、思ったら、不謹慎な言い方になるが、コロナウイルスは、極限まで汚れ、疲れ、空っぽに枯渇してしまった地球自体が起こした自浄作用なのかもしれないなと思えてくる。逆にいうと、たった一週間か二週間で、こんなにも世界をいきいきと躍動させる地球の再生能力は凄まじいなと思ったし、同時に、やっぱりこれまでの僕らの経済を主体とした生存活動は、地球をひたすら痛めつけてきたんだなと思える。

ぼちぼち学者たちが言い始めているが、確かに、今後の世界は、「コロナ以前」「コロナ以後」で大きく別れているくことになるだろう。

でもさ。とも思う。今は大騒ぎをしているけど、コロナが収束した時に、果たして日本は「コロナ以後」の社会構築を出来るのだろうか。東日本大震災が起きたのは9年前。去年は台風19号をはじめ、全国各地を豪雨が襲った。ずっと、地球は「もういい加減にしないと、ブチ切れるからね」と僕らに伝えてきていたのに、僕らはなにかが起こるたびにあわあわするだけで、事が収束すれば、何事もなかったように以前の暮らしを取り戻すことに精を出してきた。

今も、政治や行政、企業などは「コロナ以前」の暮らしをなんとか手放さずに済むように頑張っているのだと思うが、みんなに聞いてみたい。それでいいのかい?

少し前のことになるが、緊急事態宣言が出される前日、4/6のことだ。突然、直感的に、「今、撮影をしないと」と思い立ち、誰でも簡単に家庭で出来る野菜の育て方を、土つくり、種まき、水やりなどに分けて動画撮影をした。

帰宅すると、明日にでも緊急事態宣言が出されるとニュースが言っているのを聞いて、どうして直感的に撮影しようと思ったのか分かった。

これは自分の役割なのだ。

そう思い、そこから3日間連続で、ほぼ寝ずに初めての動画編集に突入し、毎日、拙い動画ではあるがYoutubeにアップしていった。

その間、たくさんの友人や知り合いから連絡をもらった。

『動画を見ながら、ベランダで野菜の種まき始めた』とか、

『自分もUFCの土を友人たちに分けてあげたい』とか、

『今みたいな時期こそ、UFCの出番だよ!』と応援までしてもらった。

その動画では、一つ実験もした。せっかく、野菜の育て方を伝えても、肝心の土と種が都会では手に入りづらい。なら、自分たちが普段使っている土と種を希望者にあげてしまおうと思い、とある場所に「土と種の無人直配所」を設置したのだ。

これが、自分でも想像していた以上に人がきてくれ、土と種を入手してくれたようで、まだ会ったことがない人たちからのお手紙メッセージまで入っていて、

「都市生活者は土と種を欲している」と確信した。

(現在、「土と種の無人直配ステーション』は恵比寿新聞社の1Fデッキ部に設置しています)

実際に自分で動画を投稿し、素早い反応をもらったことで、こういったオンラインでの情報の受発信も今後の社会の重要なインフラになるだろうと思ったのだが、その時、数年前に聞いた「グリーンインフラ」という言葉がふと浮かんできた。

グリーンインフラとは、道路や水道などコンクリート的なもので構築されている従来のインフラ(コンクリートゆえかグレーインフラというそうだ)に対して、「自然環境が有する多様な機能を積極的に活用して、地域の魅力・居住環境の向上や防災・減災等の多様な効果を得ようとする(第4次社会資本整備重点計画)もの」と定義されている。ざっくり言えば、植生物などのグリーンを環境や暮らしに役立てるような仕組み=グリーンによるインフラということだそうだ。

この定義で言えば、僕らが日々励んんでいるアーバンファーミングも都市におけるグリーンの生産と拡大、そして共有からコミュニティ醸成へとまさにグリーンインフラ構築を行なっている事になる。このことは、これまでもずっとUFCの社会的な役割として心がけてはきた。だけど、今のままでは足りないと思う。

UFCも「コロナ以後」に変化しよう。

しばらくの間、少なくともコロナが収束するまでの間、UFCは、というか、僕、小倉崇個人としては、徹底的に社会のグリーンインフラであれるよう動いていくことにした。

具体的には、都内に「土と種の直配ステーション」を増やし、一人でも多くの人たちに土と種を手に入れてもらって、「自分たちで作物を育て、自分たちで美味しく食べる」ということを体感してもらう機会を増やし、継続すること。(都市生活者が野菜の自給ができる意義と価値は後述)

これは「#いまこそ種をまこう」というメッセージを軸に活動しているのだが、全国各地でもどんどん広げていってもらいたいと思っている。例えば、どこかの地方の農家さんが畑の一部を開放して「土と種の直配ステーション」にしてくれるような展開にまで広がってくれたら最高だ。そうすれば、これまで出会った事がなかった、街の人と畑の人に交流が生まれる(直接の会話は無理かもしれないけど)。本当に美味い野菜を育てている農家と街の人が出会える絶好の機会だ。そして、もし、そんな農家さんが手塩にかけて育て、採取してきた種も分けてくれれば、今度は、その土地に根ざした野菜たちを、街の人たちも育てるようになるのだ。

どうして、こんなことを言っているのかといえば、コロナが長引けば、世界的に食糧の奪い合いが始まるかもしれないからで、食料自給率が低い日本にとっては、コロナ以上に多くの人間の生死に関わる事態にまでなるかもしれないからだ。

そんな時に、日本各地で、都市生活者とその土地の農家が繋がるネットワークがあれば、そんな時に、日本各地の都市生活者が、自分たちが食べる野菜やお米を育てられる事ができたら、「買い占め」なんて行為に走らずに済む。むしろ、みんなで食べ物を分け合う事ができるようになる。

だから、僕は緊急事態宣言以降、これまで以上にせっせと畑へ通っては、ひたすら畑を耕し、地べたに這いずり回って草を抜き、たくさんの野菜たちの種をまく。そうすれば、「食べる」のに困った人に野菜だけでも渡せられる。そのための体制も作っておかなくてはならない。

「コロナ以前」に定義されたグリーンインフラの定義も「コロナ以後」に修正してみよう。

「グリーンインフラとは、都市、地方、どこに暮らしていても、誰もが取り残されることなく、自然の美しさと恵みを享受できる仕組み」だと僕は定義する。

 

そんなグリーンインフラを作っていくには、たくさんの仲間が必要だ。

どんな形でもいいので、みんなでやれることをやって、来るべき「コロナ以後」の世界を待とう。

きっと、世界は、僕らが思っていた以上に美しいはずだ。恐ろしいほどに。

そんな世界で生きていけるなんて最高じゃないか。

何度も言う。

生きることは食べること。つまり、食べることは生きることだ。

食べていけば生きていける。

このことをどれくらいしっかりリアリティを持ってイメージできるか。

「コロナ以前」から「コロナ以後」を見据えるにおいて、僕には新たなグリーンインフラを構築していくことこそが、大きな大きな分水嶺になると思えている。そして、それは、「コロナ以前」の政府や行政には当分そこまで手が回らないだろうから、だとすれば、それを担うのは、「新しい公共」的なチームしかいないと思う。

「新しい公共」とは、別に行政職員的なことを指していっているのではない。むしろ逆。一般市民たち有志が集い、自らの意思で立ち上がり、チームを組んで、社会のために働くことだ。最近、読まれているカミュの「ペスト」も、まさに僕が言う「新しい公共」が出現したことで社会に平和を取り戻す事ができた。

こう言うことは、ごちゃごちゃ喋ってる暇があったらとっとと行動に移す。スピードこそが重要だ。だから、これからも僕はどんどん先走って思いついたことはどんどんやっていく。行動は制限されたって、脳は制限されない。だから、もし、これを読んで、自分でも何か始めようと思ってくれる人がいたら、どんどんやってほしい。

新たなグリーンインフラを作るのは、僕たちGREEN RESISTANCEしかいないのだ。