02.農とコミュニティ
「畑、見ます?」
大降りの雨の日、アーバンファーマーズクラブ(以下、UFC)理事・植原正太郎の家を訪ねると、まずそんなふうに聞かれた。
外階段を上がった住民共有のテラスの端に、細長い畑がぐるりと設えてある。ローズマリーやオレガノなどのハーブ類を中心に、いくつか野菜も植えられていた。階段のところにぐるぐる巻きついている蔓は「ホップ」だと、嬉しそうに言った。
「ここはマンションの住民が誰でも使っていい畑です。最初の頃はみんないろいろ植えてたんですけど、今もやってるのは僕らだけになっちゃいました。だからほぼ“うちの畑”と化してます」
なんと、UFCの活動だけかと思ったら、自宅でもアーバンファーミングを楽しんでいた。こういうのは好きでなければ続かない。植原は本当に農が好きなのだなと改めて思う。
植原はNPO法人グリーンズの副代表だ。私はグリーンズが手掛けるウェブメディア「greenz.jp」のライターとして長年お世話になってきた。彼は寄付会員を増やし、会員コミュニティを盛り上げる仕事を担っていた。
私がもっていた植原のイメージといえば、圧倒的な人脈を持ち、常に仲間が周りにいる人。プライベートではトレランやらランニングやらが好きなスポーツマンで、フットワークが軽くアクティブ。正直「農」やら「自然」やらに興味があるという印象はちっともなく、都会の暮らしを思う存分楽しんでいるように見えた。
だからじつはUFCの理事になったと聞いたとき、私はかなり驚いたのだ。彼はいつの間に、農に興味をもっていたのだろうか、と。
都会でも助け合う暮らしはできる
植原が農に興味を持つきっかけとなったのは、2014年に現在も暮らす武蔵小山駅周辺に引っ越したことだ。ここで形成されたコミュニティがその後の彼のライフスタイルに大きな影響を及ぼし、農と彼を結びつけることにもつながった。
植原:最初は「この町、面白そうだな」と思ってなんとなく引っ越してきただけなんです。でも大学のときの友だちが近所に住んでいることがわかったり、呼んでもないのに友だちが引っ越してきたりして、気づいたら飲み仲間のグループができていました。それが、最終的に20人ぐらいのコミュニティになったんです。
まさにコミュニティづくりの仕事をしていた植原にとって、自分が暮らす武蔵小山で発生したこの集まりは、さまざまな気づきをもたらした。たとえば、近所に友人知人のコミュニティが形成されることによって、都会でも頼り頼られる関係を築くことができるということを、彼は身をもって体感した。
植原:その中に独身の友人がいて、風邪を引いて寝込んだんですよね。普通だったら、男の一人暮らしなんて誰にも介抱されないわけです。でもそのときは、仲間がそれを知って、ポカリと薬を届けに行くみたいなことが自然と起きました。それを経験したときに「近くに頼れる人がいるっていうのはなんていいことなんだ」「都会でも助け合う暮らしはできるんだ」ということに気づきました。そこからは、ただの飲み友だちというよりかはサークルという感じになっていって「お互いになんかあったら助け合おうぜ」っていうことになりました。藤野のような助け合いのコミュニティが、武蔵小山でもでき始めたんです。
植原が中心となって始めたご近所助け合いプロジェクト「武蔵小山ネットワーク」、通称「MKN」はこうして誕生した。飲みに行ったり遊びに行くだけではなく、必要なときには助け合い、支え合う。この取り組みは、当時さまざまなメディアでも紹介された。SNSの彼の投稿は、いつも仲間たちと一緒で楽しそうだったし、おそらくそんなMKNの様子を見て、武蔵小山に憧れたという人もいただろう。彼自身、純粋にコミュニティというものの面白さを感じていたように思う。
畑をやることが社会性を引き出すきっかけに
この頃はまだ、コミュニティが形成されていただけで、農の気配はない。しかし、同じ時期に祖父が亡くなったことがきっかけで、植原は農に関心を寄せるようになった。植原の祖父は定年退職後、東京都板橋区の区民農園で働いていた。植原もときおり遊びに行っており、じつは農との接点はずいぶん前からあったのである。
植原:畑はじいちゃんの生きがいでした。それを見てきたから、じいちゃんが亡くなって「僕もじいちゃんが生きがいにしていたことをやってみたい」と思うようになりました。それで調べてみたら、品川区にも区民農園があることがわかったんです。じゃあ、せっかくやるならMKNのみんなとできないかなと考え始めました。
メンバーに相談してみると、意外にも「面白そうだね、やろうよ!」と何人もが乗り気になった。メンバーの中には農大出身者もいて、技術的なことも問題なさそうだった。
区民農園の契約期間は1年間だ。興味をもった10人ほどで一緒にやることになった。毎週通うのは大変だからとシフトを組み、それぞれが月に1回か2回、持ち回りで週末に畑の世話をする。もちろん、来れる人はいつきてもOK。収穫した野菜は各自が持ち帰るが、ときには誰かの家に集まって収穫パーティをやることもあった。すると「畑を一緒にやる」「収穫物を分け合う」という体験を通じて、その10人の関係が驚くほど深まったのを感じたのだという。
植原:何かを一緒に「体験」することで仲間感が生まれるというのを、僕はそのときに強く感じたんです。要は共同作業ですよね。だから別に畑じゃなくて、一緒に文化祭やるとかなんでもいいんだろうとは思います。でもそのときに関しては、畑をやることがみんなの社会性を引き出すきっかけになっていました。
たとえばその頃、鬱になりかけて休職した仲間がいたんです。でもその子は、休職中も畑にはずっと顔を出してくれていました。だから体調をみんなで気にかけてあげられて、サポートすることができた。これがよく知らない人同士だったら難しかっただろうと思うし、畑を一緒にやることで関係が深まっていたからこそできたことだろうなと思うんです。
特に僕らは都会に住んでいるからこそ、みんなで野菜を育てるっていうことにワクワクしたし、農にこんなに可能性や価値があるんだっていうことを感じられたんじゃないかと思います。
つまり、畑を一緒にやることで、何かをともにつくる「仲間」という関係ができたということなのだろう。友人とも知人とも違うひとつの目的に向かう関係性のあり方が、コミュニティづくりを生業とする植原に、大きなインパクトを与えた。
それで、区民農園の契約が終わったあとぐらいかな。ちょうど農ってすごい!と思っているときに、平川さんから渋谷の畑のことを聞いたんです。
なんと。まったく覚えていなかったのだが、じつはUFCが始まる前、小倉らが手掛けていた渋谷の畑のことを植原に教えたのは、私だったらしい。
渋谷の畑がUFCに発展
当時、グリーンズは渋谷区にオフィスがあった。そして植原は、行政と企業とNPOが一緒になって渋谷の課題を解決するプロジェクト「渋谷をつなげる30人」に、30人のひとりとして選出されていた。そして「渋谷周辺で何か面白い取り組みってありませんか?」と私に聞いたらしい。植原が少し前まで畑をやっていたり、農に可能性を感じていたことなど、私はまったく知らなかったのだが。
植原:渋谷の畑の写真を見る限り、ライブハウスの屋上にあって周りはラブホだし、やばいじゃないですか。結構、衝撃を受けましたよね。それが2016年だったと思います。
その後、植原と小倉を直接つないだのは、UFC理事で恵比寿新聞のタカハシケンジだ。もともとMKNの友人に紹介されて親交があったタカハシに誘われ、植原は恵比寿ガーデンプレイスのイベントにグリーンズとして参加していた。そこには小倉も別企画で参加しており、畑の話で盛り上がったのだという。その後、グリーンズのイベントにゲストとして出演してもらうなど、徐々に交流を深めていく。
そして、小倉から「渋谷の畑をクローズする」という話を聞いた植原は「渋谷をつなげる30人」で同じグループだった東急不動産の人の話を思い出したのだという。
植原:その方が、渋谷や原宿の再開発に伴って空いてるスペースが結構あるという話をしていたんですね。つまり開発が始まるまで「暫定利用ができる場所がある」ということを言っていたんです。それで、これは1回ふたりを会わせたらいいんじゃないかと思いつきました。で、しかも、渋谷にはたくさん企業があるので、せっかくならそういうところも巻き込んでいきましょうみたいな話にもなって、伊藤園さんやキューピーさんが初年度に協賛してくれることになったんです。
トントン拍子で進んでいく話。大企業も巻き込んで、大きくなるプロジェクト。怒涛の展開だった。そこから、一気にNPO立ち上げへと進んでいく。
可能性しか感じなかった
その頃には、小倉とタカハシ、植原は、飲みに行ってはアーバンファーミングの可能性について話すようになっていた。真顔で、植原は言う。
「話しても話しても、可能性しか感じなかった」
植原:とにかくワクワクが止まらない。可能性しかない、みたいな。農に興味のある人にとっての価値はもちろんだけど、企業にとっての価値もあるよね、とか、話していてアイデアが尽きなくて。だからNPOを立ち上げようっていう話になったときに、がっつり関わることにしたんです。
じつはその頃、僕はちょうどグリーンズの理事になったときでバタバタしていて、ほかのことをやってる場合じゃなかったんです。でも僕自身、武蔵小山での経験があって農には可能性を感じていたし、とにかくどれだけ話してもワクワクが止まらなかったから、これはもうやるしかないな、みたいな(笑)。それにNPOの運営や継続のバックアップみたいな仕事をずっとやってきたので、そういう部分でサポートできることがあると思いました。
っていうのは、小倉さんとケンジさんは発散型で、アイデアでも何でも、思いついたら全部やっちゃうみたいなタイプの人なんですよね(笑)。それはすごくいいことなんだけど、それだけだと「着地させる人が全然いないな」っていうことを個人的に感じていたので、そういう役割の人間も必要だろうなと思って。特に立ち上げの段階では、法人登記みたいな事務的なことを担当しました。
明確で誰もが共感するようなビジョンや構想があっても、それを事業化するとなると、ビジネスや運営のスキルも大切になってくる。ここにそうした感覚をもつ植原がいたことは、幸運だったのかもしれない。事務的な作業を一手に引き受けた植原のおかげで、立ち上げの準備は順調に進んでいく。
そして迎えたキックオフ集会。恵比寿界隈を中心に多彩な人脈をもつタカハシや渋谷の畑を通じてさまざまなつながりができていた小倉のおかげで、想像以上に大勢の人が集まり、会場は熱気に包まれた。SNSでの反響も大きかった。
植原:あの日はすごい熱狂でしたね。びっくりしました。都会で畑をやることの面白さや必要性みたいなことは、やっぱりみんな説明されなくてもわかっていたんだと思います。
企業との話がトントン拍子でまとまったように、都会で暮らす個人も、アーバンファーミングの可能性を感じていた。経済発展一択で進んできた近代社会、そして近代社会における都市での暮らしに「何かが違う」というモヤモヤを抱えていた人々が、本能的に自然や農とのつながりを求めていたということなのだと思う。そして、そんなモヤモヤに対する答えのひとつとして、アーバンファーミングは多くの人の胸に突き刺さったのである。
バック・トゥ・ベーシック
UFC立ち上げ後は、facebookグループ(オンラインサロン)のコミュニティマネジメントをしたり、寄付会員を増やすための準備を進めてきた植原。本業となるグリーンズの仕事も忙しく、実際の畑作業まではどっぷり関わりきれていないというが、UFCの可能性だけは、いまだに感じ続けているという。
植原:UFCには、バック・トゥ・ベーシック的なものがあると思うんです。都会で、マンションの隣に誰が住んでいるのかわからないことにみんなが違和感を感じている。でも隣の人といきなり飯食いに行きますかって言われたらそうではないっていうときに、原点に戻りたいという欲求を満たしてくれて、誰でもできる畑っていうのは、ひとつのコミュニケーションツールになれるんですよね。僕が感じているアーバンファーミングのいちばんの可能性は、やっぱりそこなんです。
UFCのメンバーが、何に魅力を感じているのかはそれぞれ違うと思います。小倉さんもケンジさんも、感じている可能性や興味のあることがそれぞれある。だから、みんな違うことを言うかもしれないですけど、僕にとって、UFCに関わる最大の理由はコミュニティとしての可能性なんです。
長年、コミュニティづくりに携わっている植原らしい視点だと思った。つまり、農を媒介にすることでさまざまな原点的欲求が満たされ、新しい形のコミュニティが醸成するのではないか、ということに彼は希望を見出しているのである。
もちろん、運営面では課題もたくさんあることは事実だ。特に着地担当、事務的なことを引き受けてきた植原だからこそ、気になることも多い。
植原:経営的な話でいうと、今は企業のみなさんの毎年の協賛に頼らせてもらっている状況です。これは、継続性を考えてもなんとかしないといけない。自分たちだけで稼げるようになる手立てが必要です。あとは、専門的な農業の知識や技術をもっている人がほとんどいないので、代表の小倉さんにすべての負担がかかってしまっていることも問題だと思います。走りながらやっているうちに、いつのまにかDOしなきゃいけないことが増えすぎて、ひたすら走り続けている状態。組織上のコミュニケーションは、まだまだやりきれていないところがあると思います。
今、UFCには次々と、農や食にまつわる面白い話が舞い込んでくる。しかし、それを実現できるだけのマンパワーがない。マンパワーを増やしたくても、そのための経済的自立もできていない。それがなによりの課題だ。
UFCが描く未来
植原:でも逆に、まだ2年目なのにこれだけやれてるっていうのは、すごいことだとも思います。グリーンズの立ち上げのときだって、この苦しみはあったんだろうなって思うんです。
すべてがグリーンズと同じではないと思うけれども、僕自身、ソーシャルな事業をやっていくにあたっての継続の難しさは肌で感じてきました。お金のこともあるし、人間関係のこともある。たとえ夢があろうが、それを実現するために必要なことはたくさんあるんですね。だからUFCでも、この先トラブルが起きたりするんだろうなとか、もうちょっと自主事業を増やしていかないといけないよねとか、いろいろ考えます。立ち上げ以上に、継続していくことのほうが大変なんです。
「でも、こういう社会がつくりたいっていう思いが伝われば、それに共感してくれる協力者は必ず現れるし、機会も生まれるはず」と植原は言う。そのためにも、UFCのビジョンを共有し、賛同してくれる寄付会員を増やしていくことは重要なミッションだと考えている。
植原:たとえばですけど、寄付をもらって、もらった分だけ畑が増えていく仕組みがつくれたらいいなと思っています。神社の寄進じゃないけれども、この畑は誰々さんの寄付でつくられました、って名前を入れたりしたら面白くないですか。で、小倉さんが今みたいにがっつり関わらなくても、会員になった人たちで自主的に運営されていく畑が100カ所ぐらいできればいいなって。
畑ごとに関わる人たちが勝手に動いて、バラエティに富んだ野菜が収穫できて、いろいろな学びがあって、つながりが生まれる。ひとつひとつは小さくても、それがどんどん増えていくことが社会をよくすることにつながっていく。それこそが、UFCが描いている未来のひとつだと思う。それに、用意されたものをただやるより、自分たちの力でやったほうがもっと楽しいですからね。
野菜は思ったように育ってくれるとは限らない。毎年、何が起こるのかわからないのが農業だと、実際に畑をやる人々はわかっている。だからこそ、未知の日々を楽しみ、ときに悩んだり、工夫することも当たり前になるのではないだろうか。つまり農とはそもそもがクリエイティブの現場であり、そこに植原が投影するのは、関わる人々によって自由に創造されていく、まったく新しい農とコミュニティの姿なのだ。