URBAN FARMERS CLUB

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未来を耕そう

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根っこの話

2022年が明けた。

早速、YEBISU GARDEN FARM(以下、YGF)や、相模原リトリートセンターでは『畑開き』と銘打って、メンバーたちと畑作業をスタートしている。

そっと畑の土の中に指を入れてみる。想像していたよりも、はるかに冷たくて、すぐに指を引っ込めた。

リトリートセンターでは毎朝、霜がびっしりと畑を覆う。YGFでは都会特有の骨の芯まで凍えるような寒風が舞い、畑の土は常にその寒風に晒されている。どちらも、人間だったら、30分も耐えられないような過酷な環境だ。それでも、野菜たちはじっとその寒さに耐えるばかりか、少しづつ成長している。なんて凄い生命力なんだろう。

YGFでは、そんな野菜たちの成長を促すために、ラディッシュ、水菜、青梗菜なんかの間引きをした。リトリートセンターでは、ニンジンやタマネギを収穫してみた。特に、リトリートセンターのタマネギやニンジンは引き抜くのに目一杯力を込めないと引き抜けなかった。それは、タマネギやニンジンの根っこが、しっかりと畑の土を掴んでいるからだ。

YGFとリトリートセンターの野菜を収穫してみると、共通していることがある。それは、どちらの野菜も根っこが綺麗な白色をしていることだ。

この、根の白色の意味を教えてくれたのは、宮崎県の自然栽培農家・川越俊作さんだった。

川越さんは、国内の自然栽培農家の先駆者である。有機農家の勉強会へ取材で訪れたことがあったのだが、その時の講師が川越さんだった。農薬などを使う慣行農業を営んできた両親の農園の経営が時代の変遷とともに思わしくなくなり、川越さんは「環境保全型の農業こそが未来を作る」と考え、まずは、有機農法や炭素循環農法などに取り組み始めた。ところが、どの農法を試してもうまくいかない。そうして、あらゆる農法を試したのだが、最後まで踏み切れなかったのが「自然栽培だった」という。それは、「野菜は肥料がなければ育たない」という思い込みと、「肥料を使わずに畑と向き合うこと」への恐怖と不安が拭えなかったからだと話してくれた。

有機農業と聞くと、農薬も肥料も一切使わない安全な農法と思う人もいるかもしれないが、実際は違う。国の有機農業に指定されているガイドラインでも使用が許可されている資材は多く、それらを畑の土に撒いて野菜を育てている農家も多い。

一方で自然栽培とは、無農薬・無化学肥料はもちろんのこと、肥料さえ使わない。土の力だけで作物を育てるやり方だ。じゃあ、どうやって土に野菜を育てる力(=地力)を与えるかというと、ソルゴーなどの緑肥を育て、それを土にすき込むことで、野菜が育つのに必要な炭素などの栄養を補給する。また、豆を育てると豆は土の中に窒素を固定してくれる機能を持っているので、それを利用して土の中に窒素を補給する。つまりは、自然界の中では当たり前に行われている循環を畑の中で再現する農法であり、人間はその再現をお手伝いさせてもらっているに過ぎない。

「前に農業研究所の人が来て、ウチの土を土壌診断したの。そうしたら、養分が検出されなかったんだって笑。だから、ここの土では野菜は育ちませんって言ったのよ。でも、見てよ。ウチの畑を」

僕の目の前の川越さんの畑では、ニンニクやタマネギ、ニンジンや葉物野菜がわんさかと育っていた。そして、その時にネギを抜いて見せてくれたのが、真っ白な綺麗なネギの根っこだった。

「この根っこを見て。真っ白でしょう。これは根っこが生きている証。農薬や化学肥料を使って育てた野菜の根っこは茶色いんだ。自然界の中にないものに根っこが触れることで細胞が壊れてしまうから茶色くなるんだ」

そう聞いて、僕はいてもたってもいられなくなった。恥ずかしいけど、それまで根っこの色を気にしたことなんてなかった。だけど、僕らの畑も農薬や肥料は一切使っていない。川越さんが実践している自然栽培には知識も技術もキャリアも遠く及ばないけど、土の力だけで野菜を育てるやり方を日々勉強しながらトライ&エラーを繰り返しながら深めていくことをしている。だからこそ、すぐにでも畑に飛んで帰って、野菜たちの根っこを見たいと思った。

取材から戻ると、すぐに畑へ向かった。あの時もタマネギを抜いた。そして僕の目の前に、真っ白な根っこが姿を現した。全身が震えるほど嬉しかった。それは、自分たちが実践している農法が自然栽培的に正しいと思えたからではなくて、目の前のタマネギが生き物としてまじりっ気なく自然のままのあり方で生きていてくれたからだった。一本の根っこをちぎって食べてみた。驚いた。玉ねぎとして食べてる部分よりも、香りも味も強烈だった。玉ねぎの成分をギュッと凝縮したような辛みと一口かじっただけで口いっぱいに広がった香り。この根っこは生まれたてのタマネギだと思った。考えるより早く言葉が出た。

「ありがとう」

僕はその白い根っこにそう言っていた。

あの時、改めて強く思った。確かに、ビルとアスファルトに覆われた都市で農を実践しようとすると、水耕栽培が最も適しているのかもしれない。地べたの広い畑を作れるような空地がない都市では、たくさんの野菜を育てるには水耕栽培しか道がないようにも思える。だけど、水耕栽培では、玉ねぎやニンジンなんかの根を張る野菜は育てることが現時点では難しい。そして、水耕栽培の作物は根を張らない。根を張るべき土がないのだから。他にもIotなんかを駆使して合理的にアーバンファーミングを行うことも可能だけど、携帯から指示されるままに水やりしたりして野菜を育てたとして、それで僕らには何がもたらされるのだろうか。なんか、昔の楽器のキーボードで、あらかじめプログラミングされた楽曲を光った鍵盤を抑えれば弾けますって宣伝してたのがあるけど、あれと同じで、確かに機械の指示通りにやれば曲が弾ける、野菜が育つのかもしれないけど、それって肝心の僕たちっていう一人一人の人間の存在自体を無視されている気がする。一音一音づつ確かめながら、何度も何度も失敗を繰り返しながら一曲が弾けた時、それはその曲が弾けたっていう嬉しさよりも、もっと大きな音楽という空気の波動が生み出すハーモニーの世界への扉が開いた感動に包まれる。

自分自身が、目には見えない土の中の世界、微生物たちの世界を、できる限りの智慧を集めて、そこから想像力を働かせて、実際に自分の手で土を育て、種を蒔き、野菜を育てていく。うまくいくこともあれば、失敗することもある。

今の都市生活者である僕たちに必要なのは、便利な道具ではないと思う。実際に、自分自身で学び、思考し、実践し、無から有を生み出すこと。農業に置き換えて言えば、土作りから播種、栽培、収穫まですべてを自分自身の肉体と脳で体験すること。
どんなに寒くても暑くても関係なく暮らしていくためにビルを作った。少しでも早く目的地へ辿り着けるように道路を作った。確かに暮らしは便利になった。だけど、季節を感じる心は失われ、自分自身の足で歩くことがなくなって、訪れる場所や土地への敬意は失われた。どこに住んでいても、同じような室温に保たれ、同じようなチェーン店が並ぶだけの景色ばかりになった。そして、気がつけば地球環境を壊し、今度はそんな世界を憂いている。僕たちは、本来の人間の姿からあまりに遠くへ来てしまった。

この根っこの綺麗な白い色は、今の僕にできる唯一の可能性のように思えた。

根っこの綺麗な野菜を育てることは、土をいたわり、種を尊び、作物という生命から実りを与えてもらうことだ。この実感を手にするには、便利なやり方はない。だからこそ、この経験を得ることで、都市生活者は新しい可能性を自分たちそれぞれの中に見いだすことが出来るのではないか。

ここまで書いていたら、流していたラジオから『今日はグリーンインフラについての特集です』とアナウンスが流れた。興味深く聴いたのだが、内容は僕が思っていたようなものとは違った。アメリカなどの実例を紹介しながらも「日本ではなかなか新規技術を実装する場所がないですし、そもそも国土が狭いので思うようにグリーンインフラの構築ができないんです」と専門家は語っていた。

いやいや。宇宙最強のテクノロジーである太陽と、自然界最強のテクノロジーである種をすでに僕らは手にしているじゃないか。それさえあれば、僕らには無限の可能性が与えられてるんだ。都市生活者をなめちゃいけない。僕らのグリーンインフラ構築は、僕ら自身の手で出来るんだ。

誰だって、真っ白な根っこの野菜を育てることはできる。そのやり方を伝えていくこと。それが僕たちアーバンファーマーズクラブ が果たすべき役割なのだ。でも、まだまだ、誰しもにとって正解なやり方を教えられるほど僕たち自身も学びきれてはいない。だから、まずは、真っ白な根っこをみんなに見てもらおう。可能だったら食べてもらおう。そして、自分たち自身の根っこを育てていこう。たっくさん汚れた部分はいっぱいある自分たちだけど、自分たちの中で失いたくないものを見つけてゆっくりゆっくり根を伸ばし、根を張っていこう。

農はいつでも、僕に「お前はどういう人間なんだ」と問いかけてくる。