すべてはちょっとした閃きから始まった。
東京のど真ん中の渋谷、それも道玄坂のラブホテル街のど真ん中に畑を作る。
我ながらそのアイデアは非の打ちようがないほど馬鹿げていて、仮に誰かが思いついていたとしてもやり遂げられるはずがないほど非現実的なジョークみたいなものだった。だからこそ、やりたくなった。子どもが秘密基地を作ろうとするような、混じりっけのない冒険心だけだった。
そうして2015年の夏に、ラブホテル街のど真ん中のライブハウスの屋上に初めて畑を作った。その時は、URBAN FAMERS CLUB(以下、UFC)の前身ともいえる、『weekend farmers』という農業ユニットで活動していた。
畑を作ってみて驚いたのは、毎日のように見学や遊びに来る人たちが後を絶たなかったことだった。農業高校の学生たち、料理人、農家、ビジネスマン、子育てママたち、クリエーターなどなど、年間で200人を超える仕事も年齢もバラバラな実に多様な人たちが来てくれた。誰もが、「渋谷の畑」という未知なる場所に興味を持って訪ねてきてくれたのだが、そんな中で、僕がURBAN FARMERS CLUBを立ち上げようと考えるきっかけのひとつになったのが、ある一人の女性との出会いだった。
彼女は、都内のとある病院で脳梗塞などで倒れてしまった患者さんのリハビリを担っていると言った。そして、「これまでの病院は、病気になったら患者さんがやってきて、治療をするというだけの場所でした。ただ、これからの病院は、病気になる以前も、病気になって治療を終えた後も、必要とする人に開かれた場所であるべきだと思うんです」と熱っぽく話してくれた。詳しく聞いてみると、例えば鬱病などの患者さんは、治療後に社会復帰を後押ししてくれるような団体がいくつもあるが、彼女がリハビリを支えている患者さんたちの場合は、社会復帰を後押ししてくれるような団体は皆無で、病院を退院したとしても中々再就職先を見つけることが難しいという。
「だから、私は病院の屋上を畑にしたいんです。そうすれば、お日様を浴びながら農作業することで心身のリハビリになるし、作物を育てることってやりがいを感じるじゃないですか。その気持ちはもう一度世の中に出ようとする力になってくれると思うんです。それに、屋上で育てた野菜を病院内のカフェに販売すれば多少でも収入に繋がると思いますし」
彼女の言葉を聞いた時、初めてアーバンファーミングの多様な価値を教わった気がした。仕事や立場が異なれば、社会に対する眼差しも当然異なる。ところが、そんな眼差しの違いこそが、渋谷の畑に多様な価値が潜んでいることを気づかせてくれたのだった。
今、UFCは、原宿、渋谷、恵比寿に4つの畑や田んぼを作り、日々、野菜やお米、ハーブや果物などを育てているが、それぞれの畑にはそれぞれのコンセプトがある。
例えば、原宿の東急プラザ表参道原宿6Fの「おもはらの森」に作った畑のコンセプトは、「消費から育みへ」である。商業施設といえば、お金を払って商品を購入する消費の場である。だが、街の一等地にある「場」として捉えてみると、こんなに可能性がある場所もない。もともと、この場所を提供してくれた東急不動産からは、「街づくり、地域コミュニティ活性化を考えて欲しい」とも言われていた。そこで、まず、最初に思いついたのは、地元の子どもたちへの食育の提供だった。都会のど真ん中で土に触れ、自分たち自身の手で種を蒔き、作物を育て、収穫して、食べる。そんな場所、他になかった。すぐに、地元の保育園を訪ね、このプロジェクトの説明をした。「本当にそんなことが出来るんですか?」どの園の先生たちも、最初は面食らった様子だったが、細く説明をしていく内に「是非、参加させてください」と快諾してくれた。今では、年中さんの親御さんたちから「『年長になったら、あそこの畑で野菜育てられるんですよね』って言われるんですよ」と、ある園の先生が嬉しそうに話してくれるほど浸透している。
ところで、この畑は「おもはらの森」にあるから「やさいの森」と名付けたのだが、このプロジェクトを支えてくれているのが、前途した東急不動産に加え、伊藤園とキユーピーという渋谷区に本社を持つ企業である。都会のど真ん中に畑を作るーこれまでまったく前例がなかったプロジェクトがこうして実践できるようになったのも、3社の担当者の方々が何度も何度も社内でプレゼンテーションをしたり、上司に掛け合ってくださったり、頭が下がるほど熱く、そして自分ごととして動いてくれたお陰だ。だから、「やさいの森」には、そんな街で働く人たちの思いも育まれているのだ。「この活動をもっと広げたい。この場所から、小さくていいから、ローカルに根ざした場所になるような、小さなマルシェでいいから始めましょうよ」今年から開催することになった「やさいの森マルシェ」は、3社の皆さんからのこんな提案から始まった。企業間の垣根を超えて育まれた思いが結晶したのだ。だからこそ、今、ここで野菜を育てている子どもたちには、成人式にでも集まった時に「そういえば、ここの畑で野菜育てたよね」なんて話してもらいたい。そうしたら、その内の誰かが「俺たちも、自分の子どもたちにここで野菜育てられるそうにしてあげようよ」なんて言ってくれるかもしれない。
つくづく思う。街は、そこで暮らす人や働く人たちが作るものだ。だから、農村から見たら、取るに足らないくらいのちっぽけな畑かもしれない。だが、そんなちっぽけな畑が都会のど真ん中に生まれると、街は変わる。そして、それがバトンとなって、きっと未来も変わるはずだ。